柔らかく 暖かく 激しく 力強く...
彼に抱かれ、彼の腕の中で眠った翌日、
ホテルのベッドの中で彼が言った。
「今日仕事が早く終わったら、夕方に電話する。飯でも食いに行こう」
今朝、日曜日の朝。
彼は仕事が立て込んで、最近日曜日も仕事をしている。
「ほんと、嬉しい。電話待ってるね」
言いながら、その電話はかからないとわかっている。
もう慣れた。
彼が思いつきでものを言い、気まぐれに行動することも。
でも決していい加減に言っているのではない。
その時は本心そう思っているのだが、すぐに面倒くさくなったり、気が変わったり、あるいは本当に別の用事が入ったりするから約束は反故になる。
「悪い。予定が変わった」と電話があればそれはいいほうで、付き合い始めた最初のころなど、酔って「明日電話する。どこかへ遊びに行こう」と誘う彼の口約束に、何度裏切られたことだろう。
次の日、私は着替えも済ませ、すっかり準備を整えて彼からの電話を待っていても、電話が鳴る事はなく、こちらから電話したら「おお、悪い。急に仕事が入ってな」と、嘘か本当か知らないが言い訳してすっぽかされたことが何度もあった。
そのうち、彼が約束どおり来なくても、こちらから電話することもしなくなった。
私は何度もがっかりした気持を抱えながら、おめかしした服を脱ぎ、化粧を落としたことだろう。
同居している娘にそんなことが知れると、娘の彼への心象が悪くなるので(彼はうちのお店の大事なお客でもあり、娘ともいつも顔を合わせているので、正義感の強い娘が如実に彼への態度を硬化させると困るので)娘には気づかれないよう、自分の部屋でこっそり着替えて彼からの電話を待ち、実際にかかって来たら「ちょっと出かけてくるね」と出て行き、すっぽかされた時は、そのまま部屋の中でこっそりと化粧を落とし、何食わぬ顔で普段着に着替え台所に立ったりしていた。
何故そうまでして彼に合わせていたのか。
そんなわがままで気まぐれな男を許していたのか。
一番は「はなから何も期待していない」からだったのだと思う。
最初から「電話がかかってくればいい。かからなくてもそれでもいい」と言うぐらいの気持でいたので腹も立たなかったのだ。
なぜそんなにも自分の感情を抑制できたのか。
それは、離婚してその後もいろいろあって、「他人に期待をする」事をやめたから。
期待しても絶対に裏切られる。
所詮、人は皆一番可愛いのは自分なのだから、と、悲しい目に遭うたびそう自分に言い聞かせ我慢してきたから。
だから彼に対しても「お店に来てくれるだけでありがたい。ましてプライベートでまでお世話になるなんて」と言うそんな気があったから、酔ってした彼の約束が守られなくても全然気にならなかったし、守られればそれはとんでもなくラッキーだったという風に思って彼にそれは感謝して、何度も「有難う」と言った。
そして二番は...やっぱり彼がとても好きだったからだろう。
好きだからこそ彼を許すことが出来た。
私のそんな心構えが良かったのか、その後、「出かけよう」と彼が言った約束がすっぽかされる事はほとんどなくなった。
もし予定が変わっても必ず電話で「悪い。行けなくなった」と連絡してくれるようになった。
でも...私は最初のころの癖で、つい彼との約束は「どうせ守られない」とまず最初に心でブレーキをかけてしまう。
「嬉しい」と言う、はしゃぐ気持にならないように...。
こう書けば『悲しい女』のようだが、裏切られたと相手を恨む気持にならないだけ『幸せ』なのだと思う。
辛い経験は人を強くするという事だ。
そして今朝の約束。
『どうせかかって来ない』とまず最初に自分の心が反応する。
それでも私は「楽しみにしてるね」と言った。
...果たして、午後3時前、彼から電話がかかった。
『おう、俺だ。今日来客があるらしいんだ』
それだけでもう理解する。
「わかった。また今度ね。わざわざありがとう」と笑顔で言った。
最初から諦めていたから傷つかない。悲しくない。全然平気。
電話してくれただけでも儲けものだ。
私は、でも一応空けていた午後からの予定を『衣替え』に充てる事にして、黙々と作業を始めた。
本当に傷ついていないのか、淋しくないのか、がっかりしていないのか。
本当はちょっぴりがっかりしているのだ。
でも彼と付き合っていこうと思ったら、それは『慣れる』しかない。
何故なら彼は『そういう男』だからだ。
そんな彼に「電話してくれるって言ったじゃない」「嘘つき」「思いつきで振り回されるこっちの身になってよ」...
そう言った言葉を投げつけても、それは『彼』を『彼以外の男』にしたいのであって、『彼』のいいところも悪いところも丸ごと受け入れて『彼』を愛していることにはならない。
私は彼を深く愛しているのだ─────
どうやらそうみたいだ。
黙々と作業を進めるうち、ほんの少々のがっかりした気持も消え、娘と楽しく話しながら片付けていたら電話が鳴った。
彼からだった。
時刻は午後7時を過ぎていた。
『今、客が帰ったんだ。飯食いに行くか?』
「行くわ」
嬉しかった。
期待していないと言うことは、裏切られても傷つかないと言う効能のほかに、思いがけなく起こったこんな嬉しいハプニングに、単純にとても大きな喜びを感じる事が出来る。
彼がご飯を誘ってくれる時は、いつも「娘も一緒に」なのだが、今回娘は風邪気味で残念だが留守番となったが、そのこと以外はとても楽しい夕食となった。
以前にも何度か連れて行ってもらっている隣市の寿司屋で、昔から顔馴染みの彼と大将との楽しい会話を聞きながら、美味しいお寿司をつまんで、美味しい天ぷらをご馳走になった。
2時間ばかりその店にいて、その店を出た後、彼は「ちょっとお前の家へ寄ってから帰ろうかな」と言った。
最近ではたまに我が家に彼は来る。
泊まりはしないが、娘も交えて一緒にご飯を食べたりテレビを見たりしている。
彼はコンビニで娘にお土産をたくさん買ってくれた。
我が家に着いて、風邪気味の娘にケーキなどのお土産をくれて、一緒に団欒し、娘が二階の部屋に上がって、小さな居間に彼と二人、まるで夫婦のようにくつろいでいたら、本当にしみじみと「幸せ」を実感した。
彼の手のひらを揉んであげながら、これが夫婦でこうして一緒にいるのが当たり前ならこんなにも幸せな気持になるのかなと思った。
これもまた『夫婦になれない悲しさ』よりも『夫婦でないからこその幸せ』ととらえる事で心が満たされる。
不平・不満は考え方ひとつでいくらでも幸福になれる。
11時を過ぎ、彼が「そろそろ帰るか」と言い送って行くことになった。
車に乗り込み、エンジンをかけ、走り出してふと夜空を見上げたら、秋の夜に冴え冴えと輝く月が見えた。
送って行って離れたらちょっとは淋しいけれど、これぐらいの幸せでちょうどいい、
それに離れるからこそこの次逢う時にまた幸せを感じられるのだと、しみじみと実感した。
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